2017年も今日で終わり。
横浜ベイシェラトン2Fの占いコーナーで、ふらりと手相をみてもらったのが5年前。
普段は、手相なんて、という私だけど、珍しく。
その時、占い師のおばちゃんに云われたのが
「今は勤め人? 45歳で転機がくるねぇ。
あなたは自分で事業をやることになるよ」
その45歳が、今年・2017年。
2016年に乳がんの手術・再建を経験して、ホルモン治療に落ち着き、
2017年の始まりは、懸案だった、心臓心室内の腫瘍の摘出手術から。
いや、その前に、今年は長女の中学受験もあり。
それはそれで1冊書けそうなくらい山谷あったけど、今年は、その後の大イベントが多すぎて、親子ともども苦しんだ受験は、いまや遠い彼方へ。
ごめん、長女。
ママ病気の中で、よく頑張ってきたよね。
受験を終え、慌ただしく、2月末の心臓手術。
「胸骨を電動のこぎりで縦に切開して、人工心肺に繋いでる間に、右心室の中の腫瘍を切り取りますよ~」
という手術は、ついこの間やった乳房切除手術の10倍スリリング…ではあったけど
Drのゴッドハンドと、高度医療で、無事クリア。
リハビリに苦労し、復活まで3か月かかりましたが、医療技術の進歩と人間の身体の回復力には、本当に驚かされました。
そして体力を取り戻した7月。
病気治療中になんども考えてきた、
「がんに直面する女性のためのピア・サポートSNS・ピアリング」
の事業に腰を据えて取り組むために、長年勤めた職場を退職して、起業。
45歳。
ベイシェラトンの手相見のおばちゃんの予言どおりに(笑)
その後、色々な人に助けてもらい、
がんに直面する女性のためのSNS・ピアリングは、アプリも完成。
たくさんのサバイバー女性が交流するコミュニティとなりました。
多分、将来自分の人生を振り返って、3本の指に入る転機の年となるであろう2017年。
自分をこっちに導いてきた「何か」は
①創りたい
②自由へ、自由へ。
③鈍感力
この3つだと思います。
<創りたい>
企画部門にいたとき、まだ未着手の事業を創るのが好きで、
(コレ、どうやったら立ち上がるんだろう~)といつも考えてました。
振り返ると、いろんな人を巻き込んで、迷惑かけてたものですが…。
病気になって、
「似たような状況の人と交流したいけど、患者会にいく暇もなかなかない。
で、ネットが便利だけど、患者会のように、優しいピアサポーターさんがフォローしてくれて、安心できるサバイバー用のSNSがあったらなー。」
と思ったら、自分で創りたくて、たまらなくなってしまいました。
大きな病気を経験したことで、
「がんの経験を活かして、サバイバー向けのサービスを創ってみたい。
同じように辛い経験をした人に喜んでもらいたい。」
という気持ちも強くなり一歩を踏み出しました。
<自由へ、自由へ。>
もともと、枠にはまったことが嫌い。
集団行動が苦手。
公務員になった時は、学生時代の友達がみんな「やっていけるのか」と心配してくれたくらいです。
それでも、良い役人になろう、と努力してきましたが、
ここ数年は、自由への渇望MAX。
大きな組織、時間のかかる意思決定の場を抜け出して、
小さな事業を、トライ&エラーを繰り返しながら、自由にやってみたい、という思いに駆られ、厳しくも楽しい自由を選びました。
<鈍感力>
言われた、言われた…
「失敗したらどうするの?」
「せっかく安定した仕事を持ってるのにもったいない。」
「無理すると病気が再発するかもしれないよ。」
確かに、そうですが、そのすべてのリスクに鈍感です(笑)
うーん、まあ、人生一度だし、生きている人はみな死亡率100%だし。
失敗しても、生きてるあいだにチャレンジを続ければ、面白くて、ちょっとは人の役に立つ人生になるのではないかと。
勤めを辞めて、新しい仕事を始めるのに、このリスクへの鈍感力を持ってたのは、かなり有利だった
ということで、盛だくさんだった2017年が暮れていきます。
さて!2018年は、
ピアリングが、今後も持続可能な、温かいコミュニティであり続ける仕組みを創ること。
そして、就職前、大好きなスペインに留学していた時のように、
すてきな場所、面白い人を、思い立ったら訪ねて自分を豊かにする自由を満喫すること。
が目標です。
頑張ろー、おー!
横浜ベイシェラトン2Fの占いコーナーで、ふらりと手相をみてもらったのが5年前。
普段は、手相なんて、という私だけど、珍しく。
その時、占い師のおばちゃんに云われたのが
「今は勤め人? 45歳で転機がくるねぇ。
あなたは自分で事業をやることになるよ」
その45歳が、今年・2017年。
2016年に乳がんの手術・再建を経験して、ホルモン治療に落ち着き、
2017年の始まりは、懸案だった、心臓心室内の腫瘍の摘出手術から。
いや、その前に、今年は長女の中学受験もあり。
それはそれで1冊書けそうなくらい山谷あったけど、今年は、その後の大イベントが多すぎて、親子ともども苦しんだ受験は、いまや遠い彼方へ。
ごめん、長女。
ママ病気の中で、よく頑張ってきたよね。
受験を終え、慌ただしく、2月末の心臓手術。
「胸骨を電動のこぎりで縦に切開して、人工心肺に繋いでる間に、右心室の中の腫瘍を切り取りますよ~」
という手術は、ついこの間やった乳房切除手術の10倍スリリング…ではあったけど
Drのゴッドハンドと、高度医療で、無事クリア。
リハビリに苦労し、復活まで3か月かかりましたが、医療技術の進歩と人間の身体の回復力には、本当に驚かされました。
そして体力を取り戻した7月。
病気治療中になんども考えてきた、
「がんに直面する女性のためのピア・サポートSNS・ピアリング」
の事業に腰を据えて取り組むために、長年勤めた職場を退職して、起業。
45歳。
ベイシェラトンの手相見のおばちゃんの予言どおりに(笑)
その後、色々な人に助けてもらい、
がんに直面する女性のためのSNS・ピアリングは、アプリも完成。
たくさんのサバイバー女性が交流するコミュニティとなりました。
多分、将来自分の人生を振り返って、3本の指に入る転機の年となるであろう2017年。
自分をこっちに導いてきた「何か」は
①創りたい
②自由へ、自由へ。
③鈍感力
この3つだと思います。
<創りたい>
企画部門にいたとき、まだ未着手の事業を創るのが好きで、
(コレ、どうやったら立ち上がるんだろう~)といつも考えてました。
振り返ると、いろんな人を巻き込んで、迷惑かけてたものですが…。
病気になって、
「似たような状況の人と交流したいけど、患者会にいく暇もなかなかない。
で、ネットが便利だけど、患者会のように、優しいピアサポーターさんがフォローしてくれて、安心できるサバイバー用のSNSがあったらなー。」
と思ったら、自分で創りたくて、たまらなくなってしまいました。
大きな病気を経験したことで、
「がんの経験を活かして、サバイバー向けのサービスを創ってみたい。
同じように辛い経験をした人に喜んでもらいたい。」
という気持ちも強くなり一歩を踏み出しました。
<自由へ、自由へ。>
もともと、枠にはまったことが嫌い。
集団行動が苦手。
公務員になった時は、学生時代の友達がみんな「やっていけるのか」と心配してくれたくらいです。
それでも、良い役人になろう、と努力してきましたが、
ここ数年は、自由への渇望MAX。
大きな組織、時間のかかる意思決定の場を抜け出して、
小さな事業を、トライ&エラーを繰り返しながら、自由にやってみたい、という思いに駆られ、厳しくも楽しい自由を選びました。
<鈍感力>
言われた、言われた…
「失敗したらどうするの?」
「せっかく安定した仕事を持ってるのにもったいない。」
「無理すると病気が再発するかもしれないよ。」
確かに、そうですが、そのすべてのリスクに鈍感です(笑)
うーん、まあ、人生一度だし、生きている人はみな死亡率100%だし。
失敗しても、生きてるあいだにチャレンジを続ければ、面白くて、ちょっとは人の役に立つ人生になるのではないかと。
勤めを辞めて、新しい仕事を始めるのに、このリスクへの鈍感力を持ってたのは、かなり有利だった
ということで、盛だくさんだった2017年が暮れていきます。
さて!2018年は、
ピアリングが、今後も持続可能な、温かいコミュニティであり続ける仕組みを創ること。
そして、就職前、大好きなスペインに留学していた時のように、
すてきな場所、面白い人を、思い立ったら訪ねて自分を豊かにする自由を満喫すること。
が目標です。
頑張ろー、おー!
コメント
コメント一覧 (8)
昨年8月、他の病院で手術の後、いろいろありまして…聖路加国際病院にて術後抗がん剤治療を受けて 昨年末に終わりました。
受け入れていただけたこと とてもとても感謝しています。
心に寄り添う医療が、そこにありました。
実はブレストセンターのことでお伺いしたいことがあるのですが、 院内で同病の方と知り合うチャンスがなく、
また、ピアリングに病院名を記載しての質問がよいのかどうかわからず…
質問内容 こちらに記載してもいいですか?
失礼がありましたら ごめんなさい…
最終的に聖路加で治療されたんですね。良かったですね。聖路加は本当にいい病院ですよね。私も大好きです^^ピアリングの運営メンバーも聖路加の友達が何人かいます。
SNSの中で病院名を出すか、ということですが、個々の会員の方にお任せしています。病院の環境を話す中で、きっと同じ病院ですねー、と盛り上がったこともありました。個人情報が気になるようでしたら、「会員限定」の投稿にもできます。どうぞよろしくお願いします。
術後フォローに関連クリニックへのお話があり、出来ることなら聖路加に留まりたいけど、それは望み過ぎかなぁ…とも思ったり。。
現在通院されている方からブレストセンターの状況等 うかがってみたいと思いました。
ピアリング 利用させていただきますね。
私の場合は、今タモキシフェンをもらいにいくだけで、聖路加が少し遠いので、自ら希望して近いところ紹介してもらいました。
主治医からは、「1年に1回はこっちに来てよ」と言われ、転院先の先生からもそのようにいわれています。なので、転院しても、聖路加との縁が切れてしまうわけではないようです。
でも、転院したくない場合は、それをお伝えすれば、無理に転院とはならないと思いますよ。きいてみてくださいね!
引き続きの返信ありがとう。
ブログを通して のんさんの目の前の出来事を一つ一つ受け止め、明るく前に進む力強さ、バランスのとれた情報収集やそれらを活かした生き方 を感じられました。
わたしは…のんさんとは真逆なとこにいて、
引きこもり状態…💦
せっかく聖路加に転院できたのだから もう少し自らイベント等を積極的に見つけてみようと思います!
明日、受診日です。先生と相談してみます。
ありがとうございました。
のんさんのアドバイスのおかげで、しばらくはブレストセンターで診ていただけることになりました。
ゆっくりと丁寧に耳を傾けて下さいました。
実は13年前に左、 昨年8月 50歳になる直前 まさかの2回目…右 全摘手術を受けました。
どちらも 術後補助治療として抗がん剤治療が必要でした。… 前回の経験で二度と抗がん剤治はしたくない。と、ただただ憔悴し心を崩してしまった中、聖路加との出会い、心身共のサポートのおかげで 今に至ります。
不安、悩み、本音…吐き出せる場所を作って下さっている のんさん。
聖路加かの精神を垣間見れます。
きっと素敵な方だろうなぁ〜✨
のんさんの活動、陰ながら応援しています‼︎
心より、ありがとうございます。
引き続き、聖路加でみていただくとのこと、本当に良かったですね。安心できますね!
2度の抗がん剤治療、とてもにおつらかったと思います。これまですごく、頑張ってこられたんですね。無事終了、お疲れ様でした。
ピアリングにも、今、つらさと闘っている方がいらっしゃいます。
もしよかったら、ときどきのぞいて、ゆかりさんの経験を共有していただくと、みなさん、とっても励みになると思います。
また、リアルの場でも、ピアリングの運営メンバーで勉強会をしたり、会員さん向けのイベントも考えて行こうと思います。今後、SNS内で告知などいたしますので、もし、ご都合つけば、ぜひ、ご参加ください。
どうぞよろしくお願いします。
ピアリング、少しづつ 参加して行きたいと思います。
お声かけ ありがとうございます。